その10年は誰かの為になっている

こんちゃ。

今日は、東日本大震災から10年。

10年経ったから何かしよう。とか、そんな気は全く無いです。

そんなのは普段忘れてる人がやる事であって。

生活に影響があった訳ではないのに、忘れようにも忘れられないんです。

 

10年前の3月11日。

私は関東の高速道路上にいました。
高速道路って物凄い揺れるんです。
形状的に当然なのかもしれませんが、音を立てて揺れるもんだから怖いし気持ち悪いし。

前のトラックが倒れて、荷物がなだれ落ちたのをしっかり覚えています。

ゆっくり走行して、パーキングへ。

高速道路がまだ軋んでるんです。

ずーっと「キィ…キィ…」って。

そこで数分前にいた所は、津波で飲み込まれたニュースを見まして。

「あぁ、生かされたな」と呟いたのも覚えてます。

その夜は、東京の帝国ホテルに宿泊だったので、「帰宅難民」の方々を横目にホテルへ。

たくさんの方が避難されており、部屋の壁にもヒビがあった気がします。
「ヒビ入ってるね」と話した記憶があるので。
あれが地震の影響か否かは分かりませんけども。

 

それから3年。

 

私は社会人になり、宮城県気仙沼市・大船渡市・石巻市にいました。

どういう訳か、お寺を職場として働いており、そのご縁で行ったんです。

要は「供養」という形での訪問です。

僧侶では無かったので、震災後すぐには行けませんでしたが、3年たって要約許可が出ました。

 

現地では、宗教家の方々も心を痛めておられ、誰かのケアをする状態では無い事に驚かされつつ…
徐々に景色が変わっていく事に言葉が出なくなっている自分に気づきます。

ここからは、気仙沼で撮った写真をアップします。
見たく無い方もいらっしゃると思うので、この辺りで引き返してください。
ありがとうございました。

 

 

 

 

移動中の車から撮影したモノもあるので、ブレたりしてますが十分だと思います。

まず、これ。

これが凄いあるんです。むちゃくちゃ大きいし。
分かりにくいとは思いますが、山を削って土・砂を運ぶ機械の様でした。

 

 

こういうポイントもたくさんありましたね。
数日居たので、徐々に慣れていきましたが…。

    

これは津波の高さが分かるモノでした。

このマンションを見てから、初めて恐怖を感じました。

周囲は、ほぼこの感じで。
住宅街の写真は外しますが、ここにも賑わいがあった事が分かる場所でした。

 

道の駅です。

ホント無言で手を合わせてカメラを向ける。
悪い事をしてる気になりながら、これを持って帰って伝える必要がある!
と思いやってました。

 

  

震災前と後の写真です。

これがいくつもあり、涙と震えが止まりませんでした。

一緒に行った信者さんが撮ってくれてた一枚です。

下手くそなお経をひたすら唱えて歩いて。

無力さを感じましたホントに。

 

我々の供養は、現地のメディアが取材に来られる様な規模で行われ、宗教問わず、たくさんの方と一緒に手を合わせました。

色々な方のお話しを伺い、一人滅入っていたのですが、現地の方々に逆に励まされた事も忘れられない出来事でした。
何も失っていないし、大した経験もない。
「ちっぽけな20代半ばの男」を最も感じた瞬間でもあったんです。

誰かのお話しを伺って、いつも通り言葉をかけてあげたい。

そんな気持ちでいたのに、実際に体で体感した被災地の空気感や、ご遺族の方々のお話しを伺っていると…ね。

今まで何をしてたのかと…。

それを察した僧侶の方に「新しい事に気づけたね」と言われたのも大きかった。

訪問させて頂いた経験から、今まで以上に1日も無駄に出来ない事を心に決めた。

 

忘れそうになると、現地で撮った写真をたまに見返しては、奮い立たせるんです。

 

まだまだ、やれる事がある。

 

ビビってばかりの毎日だけど、死にやしないんだ。

自分に言い聞かせています。

 

 

全ての方が良い夢を見られますように。

拝。

 

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